あまりに暑くて、熱中症的症状が出てしばらくバテてたのもあり、いろんなことが少しずつしか進んでいません💦

やりたいことはいろいろあるのだけど、涼しくなるまでは仕方ない、とあきらめの気持ち。

昨日は一日片づけものなどして、つくりかけのスツールやら椅子やらのパーツ、何が何だかわからなくなって記憶の彼方に行ってたのを整理し直して、、ついでに思い立って、まだカバーのなかった斧にカバーをつくりました。

革細工をやってた母が遺してくれてた革と、おとといハンズで特売してた革紐で。革紐はあてもなく買ったけど、ちょうどよかった、かも。本体の革が少し薄いかな、、という気もしますが、少し使って様子を見てみます。

刃の当たるとこには、端がちぎれちゃってたコルクのランチョンマットを、小さく切って貼ってみた。

思い立ってからささっとすぐつくってしまったので、デザインを全然熟考せず。いろいろ浅はかだったかもしれないと思いつつ。こういうノリによるものづくり、ときどきしたくなってしまいます。。。

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何をつくるときも、最初につくるときは「プロトタイプ(試作)」として、ひとまず思ったことを手っ取り早く形にしてみようとする&手を動かしながら考える、ところがどうもあります。

結果、できあがったプロトタイプをそのまま暮らしの中で使い続けることになるケースもわりとあって、やっぱり最初から熟考してつくるほうがよかったんじゃないか、と思ったりもする。。。

6年前の秋に衝動的につくった木製タオル干しのプロトタイプ

でもなんだろう、この、”思い立ったときの心の勢い”みたいなものってありますね? 

アイデアが十分練られ、必要な材料が全部出そろうまで待つと、そがれてしまう”勢い”。

そこらへんにある材料をバババッとアレンジしてひとまず完成しちゃうと保たれる、”勢い”。

その”勢い”を宿したものには、 熟考したデザインにある”精度の高さ”はないかわりに、自由の気配と実験の精神があって、それを自分は好ましいと思うみたいです。

自由の気配と実験の精神に、精度の高さもドッキングしてると一番いいとは思うけども。。💦

前に即興的につくった木製タオル干しのプロトタイプ(グリーンウッドワークを始める前につくったので、生木の木工ではないですけども)は、以来洗濯のたびに必ず使われる、ヘビーユースな生活道具になっています。衝動的・即興的につくったわりに長持ちしていて、今7年目。

洗濯物を干していないときの収納場所も、あるとき思い立って、引き出しから画鋲を1つ出してきて、壁に挿したら、完璧な収納場所になったのでした。物干しの枠を組んだとき、枠のひしゃげ防止に金具を四隅に据え付けたのだけど、その金具が枠の木の幅よりも大きかったので、少しはみ出していて。そこがちょうどよく画鋲に引っ掛けられたのでした。

白い球型の画鋲を挿したところに上からスライドしてくと
金具のはみ出たところがちょうど引っ掛かる
画鋲1本で壁面にピタッと収納

このように収納できると、さっと外して使えるので楽です。

計算せず、計画もしなかったことが偶然ピタッとうまくいく気持ちよさがありました。

計画を緻密に熟考しすぎてプロジェクトが間延びしてしまっている、椅子やスツールのパーツを眺めつつ、勢いでつくった斧のカバーを眺めつつ、偶然の神さまに出会える不思議を想う今夜です。

椅子やスツールのパーツたちも、そのうちにパンッと出番がやってくるのだろう、そのときを待つのもまたいいな、という気持ちもあります。描きかけのキャンバスをたくさんアトリエに並べていつも過ごしていて、そのどれかに「呼ばれたら」続きを描いて、呼ばれるまではひたすら待っていたらしかった、大好きな画家の有元利夫さんのことを思い出します。

自分を有元さんになぞるのはおこがましいですが!でもものごとには、ふさわしい時機というものがあるってことかと。。